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「誰のために働くのか〜農業や農家が抱える課題の解決へ〜」井出飛悠人 - 前編 -

株式会社シェアグリは農業の課題をシェアリングエコノミーの力で解決し、現在は特定技能外国人派遣サービスの提供、新型コロナによる休職・失業者マッチング、技能実習生の来日が困難となった農家に人材を派遣することなどを行っています。技能実習二号を修了した高スキルの外国人人材を派遣、農繁期のみの派遣による大幅なコストカットによる「必要な人材を必要な期間だけ」を提供する、株式会社シェアグリで代表取締役CEOを務める井出飛悠人さんに今回はお話を伺いました。

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【代々続く種苗会社の長男として育った幼少期】

 

━今回は株式会社シェアグリCEOの井出飛悠人さんにお話を伺います。井出さんは長野県で種苗会社を営むご家族の元に生まれ、農業が身近にある環境で幼少期を過ごし、大学4年時に参加したピッチコンテストをきっかけに株式会社シェアグリを設立されました。現在シェアグリではどんな事業を展開していますか?

 

井出:シェアグリでは農家さんの人手不足解消と人件費削減を目標に、農繁期のスポットでの人材派遣事業を行っています。また、派遣されるスタッフたちがいろいろな産地をリレーすることによって人材の産地間リレーを作り、農業の産地を強くしたり、プロの人材を育成したりすることに力を入れています。

 

━そのような画期的なサービスでの起業に至った背景には、井出さんが農業が身近にある環境で育ってきたことがあると思いますが、幼い頃どのように農業と関わっていましたか?

 

井出:種苗会社っていうのがそもそも、種や苗、農資材などを農家さんに売ったり、農協さんに販売したりする会社なので、うちの実家に来る方々はみんな農業に関わりがある方でした。もちろん自分の実家も畑や田んぼをやっていたので、小さい時は畑作業の手伝いに駆り出されたり、おじいちゃんとかに教わりながら色々な作物を作ったりはよくしてましたね。

 

━農業が生活そのものとも言えるほど、密接な関わり方をされていたんですね。幼い頃から、将来は家業を継ぐものだと思っていたそうですが、継がないという選択肢はなかったのでしょうか?

 

井出:今考えてみると、継がないっていう選択肢もあったとは思います。ただ、自分は実家が家業をやっていて、雇用している従業員さんもいて。そういう環境の中に長男として生まれてきたので、ゆくゆくは実家に戻ってこの家業を継いで、そのまま自分の人生を終えていくんだろうな、と当たり前に思っていました。当時はそれ以外の選択肢は考えられないような環境でしたね。

 

━自分の将来が決まっていることに対して、どのように感じていましたか?

 

井出:大学に入学して色々考えていく中で、大人になりたくないとか、仕事したくないとか思うようになりました。自分の30年後が知りたければお父さんを、60年後が知りければおじいちゃんを見れば、だいたいこんなことやってるんだろうなっていうのがわかるような感じだったので、自分の人生が決まりきっていて面白くなさそうだな、と思っていました。

 

【サッカー三昧の高校生活を経て、東京の大学へ】

 

━大学に入るまでは家業を継ぐことに対して疑問を感じていなかったそうですが、なぜ東京の大学に進学したんですか?

 

井出:実はこれ、すごく雑に決めたんです(笑)高校生の時は、親元を離れて寮生活をしながら3年間ずっとサッカー三昧の生活を送っていました。引退が三年生の冬だったので、そもそも大学に向けて受験勉強するなんていう考えが一切なかったですし、どこの大学に行こうとかも全く考えていませんでした。部活を引退後、大学をどこにしようって考えたときに、実家の家業が農業系だったので農学部経営学部に絞り、自分の成績で行ける範囲内で指定校推薦がある大学を選びました。

 

━大学に入学後、留学を経験したそうですが、それはいつ頃でしたか?

 

井出:大学二年生の春学期に、短期留学でカナダに行きました。私の学科では留学が必須だったので、自分から進んで留学したという訳ではなく、きっかけは与えられたカリキュラムに乗っかったことでした。

 

━留学でどのようなことを感じましたか?

 

井出:留学生活はすごく楽しかったです。英語も話せないのにサッカークラブに入ってみんなでサッカーやったり、友達に連れられて色々な人の誕生日パーティーに行ってみたり、そういった経験をする中で新しい人と関わったり、新しい環境に入っていったりすることの楽しさを感じることができました。

 

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【「働く」とは誰かを楽にすること】

 

━留学後は、民泊の運営代行のビジネスを在学中に始めたそうですが、どのようなきっかけで始めたんですか?

 

井出:留学が終わってからはベトナムで2週間のインターンをしたり、自分の生き方ややりたいことを考えるスクールに行ったりしました。その中で、なんだかんだ言って自分はやっぱり地元や実家の家業、農業が好きなので、そこにある課題を解決したいと思うようになりました。特に地方の課題を解決したいという思いが強かったので、地方が抱える課題を解決するためのスモールビジネスを在学中にいくつか立ち上げたのですが、その中の一つが民泊の運営代行でした。実家は軽井沢の近くだったのですが、地元では空き家が問題になっていたので、別荘管理会社さんと一緒に別荘を一つ買い、人が泊まりに来れるように中をリノベーションして、それをAirbnbなどに掲載しました。また、宿泊予約が入った物件の掃除を代行したり、物件をエアビーに掲載して、予約の際に必要になる英語でのやりとりを代行したりしたりしていました。

 

━大学入学や留学は自発的に選んだことではなかったのに対し、ビジネスを始めた時期から自分の道を自分で選ぶようになったそうですが、どのような意識の変化がありましたか?

 

井出:意識の変化のきっかけは色々あったんですが、中でも大きかったのは株式会社はぐくむのたけさんという方の「傍を楽にする」という言葉です。これは「働く」の語源なんですが、傍とは自分の周りの人のことなので、「働く」とは誰かを楽にすると言うことなんです。この言葉に出会って、そもそも自分にとって楽にしたい人とは誰なんだろう、と考えるようになりました。そして、それまでは「働く」ということに関してネガティブな印象が強かったんですが、「働く」とは自分の好きな人や自分の対象にしたい人たちを楽にすることなんだ、とポジティブな方向に自分の考え方をシフトすることができました。

 

【失敗してもやり直せる年齢だからこそ、今やるべきことに挑戦する】

 

━そのような考え方の変化の後押しもあって、起業を考え始め、ピッチコンテストに出場したのはいつごろでしたか?

 

井出:色々なピッチコンテストに出ていたのが三年生の冬くらいですね。就活も、周りの人ほどではないですが、同時進行で行っていました。

 

━実際に出資を受けることになったガイアックスでのピッチコンテストがきっかけとなってシェアグリが誕生したそうですが、起業することを決める時に迷いや不安はありませんでしたか?

 

井出:その時は不安も迷いもすごくありましたね。三年生の冬にそのピッチイベントがあって、出資していただけることが決まったんですが、結局出資を受けて起業したのは大学四年生の8月でした。その間の期間はガイアックスの人と話したり、自分の両親とも話したりして、悩んだり葛藤したりしていました。

 

━その数ヶ月間を経て、どのように起業を決心したんですか?

 

井出:ガイアックスのピッチコンテストは、Facebookで参加者を募集しているのを具然見つけて、ガイアックスのことも知らずに参加したんですが、結果として出資していただけることになりました。それ以前は、起業にチャレンジしたいと思いつつも、一歩踏み出せずにいましたが、ガイアックスのピッチイベントを経て、自分が決断すれば出資をしてくれる人もいるし、事業をスタートできる環境を得ることができたので、それならこの機会を生かさなければすごくもったいないと思ったんです。両親には反対されましたが、やってみてどうにもならなくて、一年で潰れたとしても22、3歳とかなので、その後いくらでもやり直せる。それならこのタイミングで踏み出すのが一番良い決断だろうと思って起業しました。

 

━先のことも考えた上で、起業するなら今が一番リスクが低いと考えたんですね。

 

井出:そんなに先のことをちゃんと考えていたわけではないですが、今この瞬間自分が一番やるべきことってなんだろうと考えた時に、内定をもらっていた企業に入ることではなく、いただいたきっかけを生かして起業することだったんです。

 

後編に続く