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「本当の安定はチャレンジし続けることで得られる」高田優哉

今回は、企業とユーザーをつなげ、顧客体験を最適化するコミュニティタッチツール「commmune(コミューン)」の開発、運営を行うコミューン株式会社の共同創業者であり、代表取締役CEOを務める高田優哉さんにお話を伺いました。

 

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高田優哉 コミューン株式会社 共同創業者 / 代表取締役CEO

プロフィール:パリ農工大学留学を経て東京大学農学部卒業。卒業後ボストンコンサルティンググループに入社し、東京、ロサンゼルス、上海オフィスで戦略コンサルティング業務に従事。リードコンサルタントとして活躍後退職し、コミューン株式会社を共同創業。

 

岩手県で生まれ育ち、国連を目指して東大へ】

 

━中学生の頃から世界を変えたいと考えていたそうですが、そのように考えるようになったきっかけは何でしたか?

 

高田:中学二年生くらいの時、地球温暖化防止のための植樹が社会貢献活動としてムーブメントになっていて、私の中学校でも一口500円の募金を生徒から集めて、内モンゴルの現地の団体に寄付したんです。その時に、募金先の土地では人件費や苗自体の価格が安いため、500円で植樹できる量が日本で行う場合の100倍くらいだと知りました。私は日本の中ではかなり田舎の出身なので、それまで自分のことは恵まれていないと思っていました。でもその話を聞いて、自分は恵まれている環境の中で相対的に恵まれていないグループに属しているだけで、世界全体で見たらすごく恵まれている方なんだと思ったんです。そして、私たちがお腹いっぱいご飯を食べている一方で、貧しくてご飯を十分に食べることができない人々がいることに違和感を感じ、自分がなんとかしないといけないと思ったんです。

 

━それで将来は国連で働こうと決めたんですね。

 

高田:まだ中学生だったので大した知識もなくて、とりあえず国連に行くしかないと思ったんです。国連は英語以外にもう一言語話せないといけないと聞いて、英語以外の言語も学べる高校に進学し、日本から国連に行くためにはまずは国家公務員になることが一番確実だと知って、東大を目指そうと思いました。

 

━国連で働くという夢に向かってひたすら進んでいたんですね。大学では何を専攻していましたか?

 

高田:国連に行くなら国際関係論を学ぶべきだと思って東大の文科三類に入ったんですが、国際関係論を学べば「国際人としての教養」は身につくかもしれないけど、その上で求められる専門性は身につかないんですよね。そこで他の分野を考えた時に、経済にすごく興味がありました。ただ、いわゆる純粋なエコノミストとして国連で働くほど頭は良くないと思ったので、農業経済を選びました。多くの国においてはGDPの中で第一産業が占める割合がすごく高いので、国際機関の中で農業経済はすごくプレゼンスがあるんです。

 

━夢を追いかける過程で、自分のモチベーションが削がれるようなことはありませんでしたか?

 

高田:大学に入るまではありました。僕が育ったのは岩手県の沿岸にある人口4000人くらいの村で、学年の半分以上が工業高校に行くようなところだったので、中高の時は宇宙人のような、ちょっと何言ってるかわからない奴だと思われてましたね。

 

━そんな中、どうやってその意思の強さを培ってきたのでしょうか?

 

高田:こういう出自なので、大学に入るまで自分より優秀な人に会ってないんです。だから小国の王みたいな感じだったんですが、それがいい方に働いて自分は特別であるという感覚が育ってました。その感覚がさらに強化された理由の一つは、中学一年生くらいの時に親父がリストラにあったことです。その時に、結局他者に委ねられた安定というのは虚像で、自分がチャレンジし続けることでしか安定は得られないのだと悟りました。もう一つは、大学一年生の冬に地元が被災したことです。友達や知り合いが亡くなって、死というものが初めて身近になり、自分もいつ死ぬかわからないんだから、やりたいことをやったほうがいいのではないかと強く思うようになりました。

 

【ターニングポイントになったOECDでのインターン

 

━大学4年時にはOECDインターンをされたんですね。

 

高田:国際機関でのインターンって基本的には修士に所属してないといけないんですが、フランスのグランゼコールという教育機関では日本での4年生は修士1年目になると聞き、まずフランスの大学に留学して、そこでもらった学生証を手にしてOECDインターンに応募しました。

 

━帰国後はどんな道に進まれたんですか?

 

高田:OECDインターンに行ってから、初めて人生が予定通りに行かなくなりました。大学4年生の12月末に日本に帰ってきたんですけど、インターンを経てそもそも国連に行きたくなくなってしまったんです。卒業後に進学予定だった東大の院はマスターが必要だから行こうと思っていただけだったので、どうしようかと思っていた時に相談した友達がボストンコンサルティングに内定していて、その友達の紹介で内定が決まりました。そのままBCGで4年ほど働き、起業して今に至ります。

 

OECDでのインターンを経て、自分の中で人生をかけて追いかけてきたものが崩れた時はどういう心境でしたか?

 

高田:HOWが変わっただけで別に登ってる山は変わらないから、HOWとしてこれまで持っていた仮説がずれていたことを理解したという感じでした。だから自己否定はしなかったんですが、これまでずっとそれを目掛けてやってきたことが、実はそうでもなかったと分かってすごく悩みましたね。

 

━そこでビジネスに興味を持ったんですね。

 

高田:社会を良くすることの中でどうしてもお金にならないことってあるんですよ。例えば、経済効率を突き詰めると戦争はやったほうがいいとも言える一方で、平和や人の幸せの観点から見ると、戦争はないほうがいい。あるいは、地球温暖化のような中長期的な問題。こういった経済合理では解決できない問題や、経済合理を考えると中長期的になる話は国連とかにはすごく向いてるんです。でも私個人としてはそっちにあまりパッションを持てなかったので、じゃあビジネスやろうと思ったんです。

 

【様々な壁にぶつかったBCG時代】

 

━卒業後はBCGに入社されて、日本、上海、LAのオフィスを経験されていますね。待遇の違いや言語の壁をどのように乗り越えたのでしょうか?

 

高田:上海とロサンゼルスは結構辛かったですね。日本支社はアソシエイトがパートナーに「全然何言ってるか分からないです」って言える環境だったんですが、上海はすごく上下関係が厳しかったんですよ。私が最初にプロジェクトリーダーに「お願いされたこれなんですけど、ちょっとやる意味がわからないので僕なりに考えてみたんですけど、どうですか?」って言ったらブチ切れられてそのプロジェクトから外されて、別のプロジェクトに入れてもらえないか他のパートナーを回ったりしました。

 

高田:その後日本で1年くらい働いたあとに、ロサンゼルスに8〜9ヶ月くらい行きました。ロサンゼルスでは実力や言葉の壁が辛かったですね。コンサルという仕事は、クライアントに対しては言葉を売るし、チーム内では言葉で戦う商売なので、ちょっとでも遅れると価値が出ないんです。誰もやりたがらないけど誰かがやらないといけない、そういう仕事を積極的にやっていく中で徐々にチームのメンバーの信頼を得て、話を聞いてもらえるようになりました。

 

━上海で感じた文化の違いやLAで感じた言葉の壁は、起業してからも活きていますか?

 

高田:中高大、そしてBCGJapanでは自分の価値がそんなに出てないと感じたり、その場所から逃げたいと思ったりしたことがなかったので、そう思えたことがよかったと思います。起業ってすごいプレッシャーがかかるんですけど、そういうプレッシャーに対して、毎日枕濡らしてたあの時よりましだなと思えるのはすごく大きいですね。

 

【この人とだったら絶対成功すると思えるけど、失敗しても後悔ないと思える】

 

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━共同創業者である橋本さんとはどのように出会ったんですか?

 

高田:橋本とは大学で同じサークルに入ってたんですけど、大学の時は特に強いつながりはありませんでした。でも社会人になった時に、起業しようと思っている人が少なかったので自然とそういう話をするようになりました。あとは2人とも同じタイミングでアメリカで働いていたので、アメリカで仲良くなって急接近しました。

 

高田:その当時、私も橋本もなんかちょっと終わった感があったんです。日本人で外資の日本支社に入ってUSのチケットを手に入れる人って、何年かに1人しかいないくらい少ないんですよ。さらにそこからUSに居続けるという選択肢を頑張って取るとなると、グリーンカードを取ることになり、数年間その会社にでコミットしないといけなります。それか、来てすぐだけどこのタイミングで次のキャリアを考えるか。どっちにするか今決めないといけない、というタイミングが2人ともちょうど同じ時期にあって、橋本も私もあんまりアンパイには行きたくないと思っていたんです。

 

━それで橋本さんと共に起業されたんですね。高田さんがCEOで橋本さんがCOOという役決めに至った経緯があれば教えてください。

 

高田:何が得意かだと思います。僕はどっちかっていうとコトに向かうタイプなんですが、橋本はどっちかっていうとヒトに向かうタイプです。そして、会社というものが会社として存続するためにあるのではなく、何かをなすためにある以上、経営上の意思決定はコトに基づいて行われるべきなんです。そうしないと、痛みを伴うような決断ができないので。むしろチームのパフォーマンスの最大化は私は得意じゃないので、オペレーショナルな部分は橋本さんに任せています。

 

━高田さんは、CEOに求められる能力にはどのようなものがあると思いますか?

 

高田:一つ目はまず登る山を決めることで、二つ目は登り方をざっくり決めることです。そこまで決めれば後はみんながやってくれるので。三つ目は痛みを伴うものを含めて、必ずしも合理的でなくても、正しい意思決定をすることです。何人が考えても同じようになるなら私がいる意味はないので、例えば意見が二分されるようなものとか、大多数が反対してるけど私はこっちがいいと思う時とかに、正しい判断ができる必要があると思います。

 

━起業の仲間や、採用を決めるときに大事にしていることはありますか?

 

高田:いわゆる経営メンバーと、その下のマネージャー・ダイレクターレベル、メンバーレベルの3つに分かれます。経営メンバーは、こいつとだったら絶対成功すると思えるけど、同時にこいつとだったら失敗しても後悔ないと思える、ということが僕はすごく大事だと思っています。前者だけだと、スキルだけあるやつとか価値観合わないけどタイミングだけ合ったやつを選んじゃうんです。逆に後者だけだと、仲は良いけど強みが自分と変わらない人を選んでしまいがちです。僕と橋本は全然タイプが違うし、役割が完全に分かれてる一方で、大学の同期でもあるので、これでうまくいかなかったらしょうがないなと思いました。

 

高田:マネージャーやダイレクターのレベルではカルチャーフィットも大事にしてますが、それに加えて2つ見ていることがあります。一つは我々経営陣の役割を奪えるかどうか、もう一つはチームのパフォーマンスを最大化できるかです。これは当たり前に聞こえるんですけど、意外と世の中の人って、メンバーのパフォーマンスを100から120にするっていうのができてないんです。

 

高田:メンバーレベルでは、当社が決めてるバリューにどれだけそっているかがすごく大事だと思います。スキルとかはそんなに見てません。なぜかというと、メンバーレベルだと毎日話したりするわけではないので、経営陣からするとある程度自立駆動型であってもらう必要があるんです。

 

【チャレンジし続けることでやりたいことができるようになる】

 

━最近は起業に興味がある学生が増えて来ていますが、それについてはどう思われますか?

 

高田:素晴らしいと思います。会社勤めをしてから起業しようとすると、手放さなきゃいけないものが大きくなるんですよね。さらに、結婚や子育て、親御さんの介護とか、年を重ねるほどいろんなことが出てきてどんどんがんじがらめになっちゃうんです。だから、モチベーションがある人は今すぐやるべきだと思います。

 

━起業はゴールではなくあくまで手段の一つですが、それでも起業はするべきだと思いますか?

 

高田:起業が手段でしかないとすると、つまり色々なものの手段であっていいと思うんです。世界を変えるためだったり、社会経験としてだったり、色々な理由や興味があると思うんですけど、それを満たすためだったら全然やったらいいんじゃないかと思います。学ぶこともすごく多いですし、学生の時に起業しておくことでネガティブなことは一切ないと思いますよ。

 

━今の日本の若者に向けてメッセージはありますか?

 

高田:昔の自分に対してもなんですけど、もっとチャレンジした方がいいと思います。理由は二つあって、一つは自分自身の経験として、楽じゃない方を選び続けたことでやりたいことができるようになったからです。今のタイミングで無難な選択肢とか安定した職業を選ぶくらいだったら、やりたいことをやった方がいいんじゃないかと思います。二つ目は、日本って生産年齢人口の割合がダントツに少ないんですね。それってつまり、若手がすごく貴重ってことなんですよね。社会情景から考えると今の若者ってめちゃめちゃ有利なんですよ。

 

━最後に、高田さんが今後の人生をどのように思い描いているのか教えてください。

 

高田:今の会社で「どこまでやったら終わり」とかはないと思ってるので、事業については意外と粛々とやっていこうっていう感じです。ただ、人生に関しては、昔は自分が世界を云々とか考えてたんですけど、そこそこの歳になった今は、後進の育成をどうしていくかが大事だと思っています。会社という意味合いでは、メンバーがコミューンで一生懸命頑張った結果、力をつけて、次のキャリアや起業に繋げられるようになるといいなと思います。



ありがとうございました!