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「やらなければ一生心に残ってしまう夢だったから」森本萌乃 -前編-

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リストから2冊の本を選ぶと、1ヶ月に1冊ずつ本が届き、3ヶ月目には同じ本を選んだ男女とのディナーが開かれる。本をきっかけに人と出会う、スローなマッチングサービスMISSION ROMANTICを立ち上げた森本萌乃さんにお話を伺いました。 

 

━森本さんが立ち上げたMISSION ROMANTICはどんな会社ですか?

 

森本)本棚で手と手が重なる瞬間のような出会いを生みたい、という思いから始まった会社です。こんなにテクノロジーが発達して、多様性も許される社会なら、私が憧れる映画の『耳をすませば』みたいな世界をビジネスを通して現実にも作れるんじゃないかと思って立ち上げました。

 

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【人生のターニングポイントはロンドン留学】

 

━大学在学中には劇作家を目指してロンドンに留学されていたんですね。

 

森本)高校からチアダンスをやっていたんですが、全然上手くなくて、大学のチア部のレギュラー争いでもいつもギリギリでした。そんななかで、自分の技術を向上させることよりも、チームがチームとして成長していくことの方が楽しいと気づいたんです。それで、自分はエンターテイメントを作る側の方が向いてるんじゃないかと思って、もともと英語にも興味があったので留学することを決めました。

 

━どんな留学生活を過ごしましたか?

 

森本)挫折だらけの留学でしたが、私の人生において大切なターニングポイントになりました。留学に行くまでは、どうやって周りの雰囲気をよくするか、どうやって人気者でいるか、みたいなことが私の人生の課題だったんです。でも、ロンドンではどれだけユニークな意見を言うかの方が大事で、ニコニコして手を叩いている子より、手を上げてそれは違うって言う子の方が人気者なんですよね。初めてそんな世界に入ったので、自分というものをフルに使っても全然上手くいきませんでした。周りの冗談にもついていけないし、学校の後の遊びにも誘われないし。すごくしんどかったんですけど、ここでの挫折が今の自分を形成する上でかなり大切なものだったと思います。

 

森本)これまで騒がしく生きていた私の生活の中に、ロンドン留学中に突然訪れた一人きりの時間。そんな私を救ってくれたのが、エンターテイメントでした。ロンドンって、座席を選ばなければミュージカルもオペラも20ポンドくらいから手頃に見られるので、ご飯をちょっと節約して、週に3回くらい劇場に足を運ぶようにしたんです。そうすると、最初は「良かった!」「楽しかった!」しか書けなかったのに、だんだんと自分なりの視点から色んな考察が細かく書けるようになっていったんです。「やるじゃん、自分」って思いました(笑)。それで、これを仕事にできないかと思って家族に相談したら、広告代理店を勧められ、広告代理店はもうすでにある素敵なものがいかに素敵かを伝える仕事だと聞いて、すごく興味を持ちました。

留学時代の森本さん

留学時代の森本さん

 

【ワクワクとどきどきを届けたい!】

 

━それで卒業後は電通に入社されたんですね。電通入社から4年後にはMy Little Boxへ転職されていますが、どんな心境の変化があったんですか?

 

森本)My Little Boxはコスメの詰め合わせを毎月お客様にお送りするというサービスを行ってる会社なんですけど、電通時代にある企画でご一緒したいなと思ってお話しにいったことがあったんです。その時はうまくいかなかったんですけど、一年後にまた別のことで機会をいただいて、私がMy Little Boxでお話をすることになったんです。その時に偶然フランス本社の代表が来ていたので、それを知って私、全然練習してなかったのに英語で話し始めちゃったんですよ。そうしたら私の物怖じしない姿に感動してくれて、My Little Boxにこない?と声をかけてくれたんです。コスメを詰めて女の子に月に一度サプライズを届けるっていう仕事に心がウキウキしちゃって、すぐに行きますって言いました。

 

森本)電通の仕事はTo Bで、お客さんの反応がダイレクトに返ってこないことにジレンマを感じていて、いつかTo Cに行きたいって言う話を私が前からしていたので、電通の先輩たちも快く送り出してくれました。

 

━転職が珍しかった時代に転職することに不安はなかったですか?

 

森本)もちろんすごく心配だったけど、やっぱりやりたいことをやらないっていう選択肢はないんですよ。My Little Boxでワクワクとどきどきをお届けするって決めたから、胸を張ってやめました。それに、あの時に電通をやめるという高い山を越えたからこそ、そのあとで起業にも踏み切れたので、今でもあの選択は良かったと思っています。高い山を一度超えておくと、次はもっと高い山を超えられる、その繰り返しが経験値になっていくんじゃないかなあとなんとなく信じて生きています。

 

【自分を見つめ直す時間を作るため、二度目の転職】

 

━その後、My Little BoxからFABRIC TOKYOへ転職されていますが、この時はどんな心境の変化があったのでしょうか?

 

森本)実はこの時の方が落ち込んだんですよね。楽しく、やりたいことを仕事にするぞ、と思って入ったのでまさか一年でやめるなんて思ってもいませんでした。My Little Boxではチームメンバーが10人いないくらいの中で、毎月数万個の箱を出荷してました。あの人数でこれを回すって、今考えると本当にすごいことだなと思うんですけど、当時は1人1人がチームのバランスを崩さないように、とにかくお客様をハッピーにするという責任感の元で必死に働いていたんです。そうすると徐々に体調を崩しちゃって、不眠症になっちゃったんです。体がボロボロだと、届けたいハッピーな気持ちも箱に乗っていかない気がして、そんな状態でお客様にお届けするのは失礼だと思ったので、いったん自分の体調を見つめ直そうと思いました。

 

森本)それで、転職から1年間でMy Little Boxを辞め、人生どうしようかなって思っていたときにFABRIC TOKYOに出会いました。FABRIC TOKYOはオーダースーツの会社なんですが、時間をかけてその人のためだけのスーツを作ることってすごく素敵だと思ったんです。これまでMy Little Boxで女性のお客様ととことん向き合ってきたから、次は男性だなっていう新しいターゲットへの挑戦にも興味が湧きました。

 

森本)ただ、そのとき私、すごく体調が悪かったわけですよ。前と同じような働き方だと同じことになるなと思ったので、週4勤務でお願いしますって言ったんです。ありがたいことにFABRIC TOKYOがそれを受け入れてくださったので、毎週水曜日は自分のための時間にする、ということで契約社員という形で新しいキャリアが始まりました。

 

【性別は個性の一つ】

 

━FABRIC TOKYOでは女性向けのメンズスーツの採寸会を企画されたそうですね。

 

森本)私自身メンズスーツを着るのが楽しくて、背広を着ると気持ちがシャキっとするんです。その気持ちは他の女性も同じだろうなと思って、女性向けのメンズスーツの採寸会を企画しました。そうしたら、来てくださったお客さんにすごく喜ばれたんです。メンズスーツが着たかったけどお店に入ったら変な目で見られたとか、女性っていうだけで入店を断られたとか、そういったお客さんたちの話を聞いて、これまで私が「女性である」という事実を楽しんで生きてこられたことは、当たり前なんかじゃないんだなと思いました。

 

━女性起業家と呼ばれることに抵抗があるそうですが、それはどうしてですか?

 

森本)私にとって、女性であることって3月生まれであることと同じぐらいささやかな事なんですよね。だから女性起業家って言われても、何でわざわざつけるんだろうなって思います。ただ、世の中には女性っていうだけで大変な思いをしてる人も沢山いるんですよね。そういう人の力になるんだったら、女性ということで何か取り上げてもらったり発信したりすることは全く厭わないんですけど、あまりピンとこないですね。性別の欄に男・女とか丸しますけど、それがすごくさりげないことになるといいなと思います。

 

後編に続く

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